「定年後の仕事」

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渡辺淳一インタビュー~「中央公論」2010年12月号掲載の言うサラリーマン定年後の悲劇は「男」という性の宿命であるは面白い。

サラリーマンの男は六十歳になると、突然、「定年」を突きつけられます。・・・(中略)・・・日本の最大の問題は、「都市生活者の大多数がサラリーマンである」ということです。でもこのことについては、今まで誰も問題にしてこなかった。 結局、男という「オス」は、ほかのオスと戦って「メス」を勝ち取ろうと行動するようにできていますから、群れることがないのです。仕事以外で人とつながることに価値を見いだせない。 ・・・ 男が孤独になるカラクリを説明することができます。サラリーマンが企業のなかで出世をするということは、友人を振り捨てることでもあるのです。 男は忙しくて病気になるのではありません。むなしくて病気になるのです。

そして渡辺淳一は、自著の「孤舟」(こしゅう)について、インタヴューアにこう言ってます。

実はこの本を出版して、まず読んで「非常に面白い」と言ってくれたのは奥様たちなのです。妻からすると、うっとうしい夫の描写が真に迫っていると言ってくれて、それがまず彼女たちの興味を引くことができた原因かもしれません。「ああ、うちの夫と同じだ」と。 今、団塊の世代が次々と定年退職を迎えて、厖大な数の「孤舟族」が増えている最中です。この作品を書くにあたって図書館へ取材に行ったのですが、何もすることがないのか、図書館で時間を潰している高齢男性が実に多かった。本のなかでも、主人公が幼稚園児から「おじさん、友達いる?」と尋ねられる場面がありますが、そんな「孤舟族」を一人でも減らすためには、高齢男性自身が、自分から「変わる」しかない。  それは非常に難しいことだと思いますが、サラリーマン社会というシステムが変わらない以上、何とか前向きに挑戦してほしいと思います。

孤舟族の気持ちがよく分かるモリパパは、第3の人生を目指そうと思ったんです。生まれてから学生時代を終了するまでを第1の人生、そしてサラリーマンになって定年退職するまでを第2の人生とするならば、その後の人生は第3の人生です。

イルデパンの孤舟

← これも孤舟です。ニューカレドニアのピローグですがキラキラした雰囲気が漂った孤舟です。

そして、モリパパは個人事業をはじめました。自分のライフスタイルに合った、自分の能力を引き出せる定年後の仕事に挑戦することになった訳です。定年後の仕事とは、よくぞ言った言葉ですネ。

さぁ〜これから仕事だ!「ラボレムス Laboremus」(さあ、仕事を続けよう)は、モリパパの第3の人生、その冒頭に飾る言葉でした。

注)孤舟集英社  東京  2010.9出版 のあらまし 大手広告代理店を定年退職した威一郎。バラ色の第2の人生のはずが、待っていたのは、夫婦関係と親子関係の危機。娘は独立し、妻も家を出て…。 定年後の夫婦の形を問う、待望の最新長編。