老いらくの恋

戦後間もない昭和23年(1948年)のことです。歌人の川田順 (68才)が、弟子の鈴鹿俊子(39才)との不倫の恋に苦しみ、自殺未遂を起こした。いわゆる“老いらくの恋”と騒がれた事件です。後に27才の年齢差を超えて、二人は結婚しました。

当時1948年12月、朝日新聞の社会面記事

「若き日の恋は、はにかみて、おもて赤らめ

壮士時おさかり四十路よそじの恋は世の中にかれこれ心配れども

墓場に近き老いらくの恋は、怖るる何ものもなし」

と詠んだことから生まれた「老いらくの恋」です。

もともと、川田順は住友本社常務理事だったのですが、54歳のとき、総理事の座を目前に退職し、歌の道に入ってしまいました。
やがて東宮御作歌指導役にまでなりますが、58歳のとき、妻和子と死別。翌年、京都に「夕陽居」を新築し、移住します。
余生をひとり気ままに、歌作研究を楽しむ予定だったのです。

しかし、62才のとき、歌の弟子で美しい人妻 俊子と知り合います。俊子は35才。年齢差は親子ほども違い、27才もありました。
でも、川田は一目惚れ、愛を告白(65才)、恋に苦しんで、自殺未遂(68才)の事件となりました。

愚かと言えば、愚かですが、愚かであるからこそ、人間の深さ、奥行きを感じます。そして川田順は、こんな歌を残しています。

  • いつよりか君に心を寄せけむとさかのぼり思ふ三年四年みとせよとせ
  • 樫の実のひとり者にて終らむと思へるときに君現れぬ
  • 吾が髪の白きに恥づるいとまなし溺るるばかりかなしきものを
  • むらさきの日傘すぼめてあがり来し君をみれば襟あしの汗
  • はしたなき世の人言をくやしとも悲しとも思へしかも悔いなく(俊子)

その後18年、川田は84歳(1966年)で他界しました。俊子は98歳(2008年)で亡くなっています。