老いらくの恋(その2)

川田順と俊子の「老いらくの恋」が小説になったのは1994年7月のことです。この小説「虹の岬」は後に、映画化もされました。
この著者は、辻井たかしこと、西武セゾン・グループの堤清二です。(2013年11月没)  小説の中で主人公の川田順は実名ですが、俊子は祥子とされ、実名ではありません。

この小説が起稿されたとき(1993年)、川田順は既に亡くなっており、没後28年経ってました。しかし、俊子はまだ83才で健在でした。その配慮からか、小説では実名を使わず祥子としたのでしょう。
この祥子をどう読むか分かりません。しょうこさちこさきこさかこやすこよしこ? 小説には、ふりがなもルビもありません。川田順が「吉祥天のように可愛かった」と言うくだりがあるので、「しょうこ」と呼ぶことにしましょう。

この小説を書いた頃の堤清二は、セゾングループ代表を辞任した後で、辻井たかしとして作家に専念していました。
この小説で、”川田の住友”と ”自分の西武”を対比し、”川田の俊子を自分の祥子(?)に”投影して書いたのかも知れません。

ロマン主義文学が流行って以降、同年代で親交があった、斎藤茂吉、吉井勇、武者小路実篤なども、年離れた女性と恋愛に落ち、再婚しています。恋への価値観がたかまった時代だったのです。
小説の中で、川田の恋愛についてこんなくだりがありました。

たしかに短歌の作風の問題について川田は迷路に落ち込んでいた。恋の歌ばかりなこと、それ自体は悪いことではないと思うが、それが大きな歌へと発展していかないのだ。(中略)
恋の歌が人生全体を歌うという荒野に出ていかない。恋に殉じようとするなら、指導者のような意識を捨てなければならない。それは作風の変革に通じている。そこのところの整理をきちんとせずに一緒になったら、歌人としての自分に祥子も失望するだろう。失望するには、あまりにも大きな犠牲を払ったと言うのに。

恋愛は、秘密で個人的なことですが、ますます自分の深水ふかみへ入っていくようで、ふたりともその淵から逃れられなくなります。
この時代は戦後の混乱期だったし、今までのモラルも価値観も、崩れ落ちた時代だったことを想うと、この大恋愛が理解できそうです。そして、この小説の最後はこんなくだりで終わっています。

もう国の在り方や経済のことには目をつぶっていよう、国は滅んだのだからと思い定めた時、祥子が現れたのだった。
自分が好きだったのは事実だ。しかし何故、好きだと言うだけでは説明しきれない力強い力が自分を衝き動かしたのだろう。まるで、祥子がまだ滅びていない国ででもあるかのように。
それにしても、祥子が従いて来てくれたのは稀有のことだった。

この小説が起稿された頃、まだ川田が存命なら「虹の岬」に不快感を持ったかもしれません。
堤清二のバブル期とは時代背景が違いすぎますし、歌人の川田の心の姿を、堤清二が書けるとも思えないからです。

ところで、ノンフィクション作家早瀬圭一が書いた「過ぎし愛のとき」に収録されている「歌人・鈴鹿俊子の八十年」には、川田が俊子に宛てた百通近い手紙の一部が載せられ、その後の俊子が辿った生活のドキュメンタリーが描かれています。

もちろん、まだ健在だった俊子諒解の下に、紹介されています。俊子は、17歳で結婚して20年、川田との恋に落ちました。その頃19才の長女、14才の長男、10才の次女が居ました。
おっとの中川與之助(大学教授)とは離婚できても、子供と別れることはできません。長女を20才で嫁がせた後、二人の子供を藤沢に引き取って、育てています。

志賀直哉の戯曲「秋風」の題材にもされた、川田との大恋愛。
その顛末のあとは、二人の子供の養育、川田との死別など、現実の生活が待っていたのです。

川田に取っての「老いらくの恋」は、俊子にとっては、宿命的な大恋愛の後に始まる、第二の人生(50年)の始まりだったのです。