池田香代子のブログ

夜と霧 新版(ヴィクトル・フランクル Viktor E. Frankl著)を翻訳したのは池田香代子です。この本の翻訳は大変だったと思います。【夜と霧 新版】を読み感動し、このブログに投稿しました。

池田香代子さんは2009年7月からブログを書いています。自称ドイツ文学翻訳家・口承文芸研究家と言ってるだけのことはあります。
池田香代子へは異見ある方も多いようですが、ちょっと知的で、個性的な文章には感心させられます。

池田香代子の著書「引き返す道はもうないのだから」の”まえがき”には、投稿ブログを書くということ それを本にするということ」が載っています。

そう、この本はブログからの抜粋と、信濃毎日新聞に連載したものを加えて編集されたものです。
以下、その”まえがき”の一部を抜粋をします。

 ブログとは、わたしにとって、思考がその時その時にたどった道筋の記録だ。それらは、ブログがなかったら文字にはならなかった。なぜなら、用命の文章にはテーマが決められているからで、テーマは、過去のわたしの文業からおのずと狭まってくるからだ。それらが、わたしの今現在の思考の中心にはないことも多い。だから、政治や社会現象、文化などなど、書きたいことを書けるブログに出会ったときは、なんとありがたい、という新鮮な驚きがあった。
 ブログは、長さも自在だ。注文原稿は、与えられる紙幅が決まっている。文章の長さに上限も下限もないブログには、味わったことのない自由を感じた。さらに、ブログには締切もない。書きたくない日、書けない日には気兼ねなく休載すればいい。
 こうした自由の見返りとして、ブログは原稿料を発生させない。けれど、ブログの利点を思えば、原稿料ゼロというのは歓迎すべきささいな代償なのだった。わたしという発注者とわたしという受注者のあいだに、架空の原稿料が行き来したと思えばいい。いつしか、ブログのありがたみを放棄する代償が、依頼原稿の原稿料なのだ、とうけとめている自分に気がついた。わたしのような弱小な書き手に原稿を発注してくださる向きには申し訳ないことながら、これは偽らざる気持ちだ。
 そんな、書くこと自体で報われてしまうブログにはしかし、思わぬ報酬があった。これほど多くの方がたが読んでくださるとは、思いもよらなかったのだ。これは嬉しかった。書き続けるうえで、おおいに励みになった。

なかなか上手い言い方をするものです。最近は投稿を中断しているようですが、又再開してほしいものです。

モリパパ・ブログも当り前ですが報酬なぞありません。かつ、WordPressの自前ブログですから、コマーシャルもありません。
世間にはばかることもなく、人におもねる必要もなく、自由に書きたいことを書いています。その時その時にたどった思考の道筋を記録しておくことも、ブログの効用かもしれません。
それに、どなたか読んでくれる方がいるので、無責任なデタラメは書けません。また誰かが読んでくれることは、書き続ける励みにもなっています。

さて、池田香代子のブログはいかが主題です。
3.11原発事故への怒り、スカイツリーへの怨嗟、六本木ヒルズから見る東京一極集中を怒り、ふるさとの喪失を怒り、原爆投下決断の内幕に怒り、などなど… 彼女の「怒りの処し方」がブログに落とし込まれています。

まるで、青白く燃えるガスバーナーのようです。高温でありながら青白くみえるバーナーのように燃える怒りです。この怒りをブログでバラ撒いているのです。烈々とした赤々と燃える炎ではなく、冷静に青白く輝く、高温な怒りを感じるのです。
彼女は「もと来た道、引き返すべき道は消えている」と言い、更にブログでエスカレートし、過激な言い方になっていきます。

ただ、残念なことに彼女のブログには、次のテーマに希望と勇気が繋がっていないことです。怒りは怒りを誘発するだけです。

誠実であること、そして忍耐強くあること、希望を捨てないことこれがモリパパのモットーです。そして他者のせいにしないことです。モリパパのブログの主題は「誠実・忍耐・希望」です。