プラハ国民劇場と序曲「フス教徒」

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19世紀後半、気位が高いボヘミアが、オーストリアやハンガリーに対し、武力じゃなく国民劇場の建設といった形で対抗した。
劇場開場のために作曲されたこの曲は、聴き応えがある曲です。

実は、プラハ国民劇場は1881年6月11日非公式に開場し、8月12日に完成の予定だった。しかし、その落成式をしようという前夜に、突然の火災で焼け落ちてしまったのです。

ボヘミアの人々の誇りはこんな火災なんかじゃ潰れません。
建物がまだ燃えきらないうちに突然1人の男が「新しい劇場を建てよう!」と言って帽子をとり、募金を始めました。すると他の人々もどんどんそこにお金を投げ込み始めました。
[誇り高きボヘミアのチェコ国民劇場]より引用

プラハの国民劇場
プラハの国民劇場(Národní Divadlo)

こうして1883年、前回建築家の助手をしたヨゼフ・シュルツを監督にしてもう一度「国民劇場」の建設が始まりました
その劇場の内部は、コンクールによって選ばれたチェコ人による芸術で装飾されました。
また、国民総出の寄付運動によって建てられたという経緯から、舞台の真上には「国民が己のために」という金の文字が大きく刻まれました。この劇場は、誇り高きボヘミアの人々の象徴的な劇場となっています。

国民劇場の劇場総裁に新任されたシュブルト(František Adolf Šubert)は、公式開場のためにドヴォジャーク(Dvorzak)に、フス時代を題材とする劇の付随音楽を書くよう依頼したのです。

フス時代,フス教徒は、ボヘミヤでの宗教改革ヤン・フス(Jan Hus, 1369-1415年)に由来するものです。 フスはカソリック教会から破門され、最後には火刑に処せられた。謂わばボヘミヤを代表する中心的宗教改革者であります。

ボヘミア(=チェコ)を宣揚する劇を作ろうとしたのであろう。
でもこの劇は1幕しか完成せず、その序曲だけが演奏会用として残ったのです。

再開場は縁起をかつぎ、1862年の仮劇場の開場と同じ11月18日が選ばれました。

そして11.18に国民劇場で、スメタナの祝典オペラ『リブシェ』序曲と、ドヴォジャークの「フス教徒序曲」が演奏されました。

当時の名指揮者で音楽評論家のハンス・フォン・ビュローはこの作品を絶賛したそうです。
では、その序曲「フス教徒」(Ouvertüre:Hustiská dramatická)を最後までどうぞ…