赤字の民主主義について

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

以前の投稿「知れば知るほど剣呑なマネー膨張」で書きましたが、日銀は今も異次元の金融緩和政策を変えていません。そこで今回は「財政赤字」について、素人勉強ですがまとめました。

国(Geverment)が財源を確保する選択肢は3っしかありません。①増税、②国債(借金)、②通貨増発です。

増税については、2014年に消費税8%になったばかりで、2015年10月に予定していた消費税率10%への引き上げは2017年4月に延期することとなりました。
今回の法律では「景気条項」を削除したため、再び延期されることはなく確実に実行されると思います。

国債については、2015年度末に1000兆円を超えてしまいました。 財務省は8月8日、国債や借入金、政府短期証券を合わせた「国の借金」の残高が2015年3月末時点で1053兆3572億円になったと発表されました。

国債及び国庫短期証券(T-Bill)の保有者別内訳

平成26 年3月末速報値

速報値で内容はまだ明らかにされていませんが、1年前(2014.3月末)のデータで見ると、その貸し手は銀行筋が368兆(37%)、生損保が193兆(19%)、そして日銀が201兆。(20%)にまで増えました。

海外はたった84兆(8%)です。我が国の国債は殆ど国内での借金ですから「自分で自分に借金をしているようなもの」です。
ギリシャのように、海外からとやかく言われる筋合いはないのですが、こんな膨大な借金をどうやって返せばいいのでしょうか。子孫末代まで借金返済に苦しまなくてはなりません。

少なくとも、借金を増やさないようしなくてはなりません。政府も達成できもしない目標を取り下げて、今では2020年までにプライマリー・バランス(Primary Balance)をゼロにする。つまり「これ以上借金を増やさない」という目標にレベルを落としましたが、これまた達成できそうにありません。

通貨増発については、日銀は国債を年間で80兆円も買い続け、日銀当座預金でマネタリーベースを膨らませています。
即ち、マネタイゼーシオン(monetization)と言って、中央銀行が通貨を増発して国債を引き受けることにより、政府の財政赤字を解消しようとしています。これまで、日本では財政法第5条で禁止され、国債の市中消化の原則といって「禁じ手」だったのですが
いま異次元と称して実行されるようになってしまいました。
国の財政支出拡大とマネタイゼーションを組み合わせて行うことで、景気浮揚のために信用を創出しています。即ち、お金を市中にジャブジャブに供給しています。

アベノミクス三本の矢

2013年アベノミクスが始動し、日銀の異次元金融緩和が始まって2年半経ちましたが、未だにデフレ脱却できません。

8月17日に発表された2015年4-6月期のGDP速報では季調済前期比で-0.4%の減少(年率換算では-1.6%)となり成長軌道に就くことができませんでした。
もし、日銀がこのまま国債を無制限に買い入れるとすると、財政赤字のマネタイゼーションの結果として、国債価格が暴落し、長期金利が上昇し続ける危険性があります。
デフレが続く只中いるとインフレの危険性について、想像もつきませんが、国債の累増が(悪質な)予期しないインフレに飛び火することになりかねません。

どうして民主主義の下ではどの国も赤字財政に陥るのでしょう。

財政収支を赤字にするだけで、減税も公共支出も拡大できます。
コスト(痛み)をかけずに有権者の支持を得られるからです。一言で言えば財政収支を黒字にしても得する有権者はいないというわけです。

国の財政は、企業や個人の経営とは違います。企業や個人の経営で、赤字の垂れ流しは許されません。 それと同じように財政も歳出と歳入が均衡しなければならないとした古典的な財政対策がありました。
ところが20世紀半ば、財政のあり方に対する見方が変わりました。即ちパラダイム・シフトが起きて、均衡財政の「呪縛」から解き放たれてしまったのです。

「総需要が完全雇用を維持できない水準に落ち込みそうなときは(不況脱出のためには)、財政収支を赤字にするべきで、その反対の場合は、インフレ抑制のために財政収支を黒字にする」といった考え方へシフトしてしまいました。
ところが、このヒモを引くことはできても、押し返すことができないのです。財政赤字はあっても財政黒字はありませんでした。

こうして民主主義の下では常に赤字財政への誘惑に駆られます。
特に日本は、高度成長期という人口ボーナスを背景に「若い国」として成長できた時期がありました。

ゆえに右肩上がりのときは、先進国の中では小さな政府でしたし、租税負担率も低く抑えてこれました。

しかし、今日のような財政赤字に落ち込むと、政治も行政も責任を取るわけではありません。最終的には(未来の)国民にツケが回ることになります。
過去、バブルが弾けて銀行が破綻したとき公的資金を投入しましたが、その資金は詮ずるところ税金だったのです。
こうして、回り巡って庶民がそのツケを払わされることになります。多くの庶民に広く薄く負担させ、皆が気が付かないように処理されることになります。

もう日本は「若い国」ではありません。成長こそが豊かさにつながるといった価値観を棄てなくてはなりません。
マイナス成長を、どうやってゼロ成長にもっていくか?ゼロ成長でも幸福追求できる新たな資本主義が求められています。

そんな期待にトマ・ピケティーTomas Pikettyの新・資本論が注目されているのでしょう。
今の資本主義では、格差は拡大し、資本が世襲され、富裕層に富が集中していきます。この連鎖を断ち切るような価値観が必要とされています。

資本主義がいま問われています。少なくとも経済成長を景気対策に掲げる古典的な経済対策では、手が打てないことが分かってきました。 その最たるものが異次元の金融緩和なのだとおっしゃる方がいます。

資本主義とは何なのか?

マイケル・ドイルMichael Doyleの言う「蒐集しゅうしゅう」の原理、ウォーラスティンImmanuel Wallersteinの言うところの「中心と周辺」の概念があります。資本主義とは、避けて通れない膨張主義だといえます。
資本主義と国家は切っても切れない仲です。「愚痴を言いながら、離婚しない夫婦」(ジョセフヒース)みたいなもので、資本主義の「蒐集しゅうしゅう」という奥深い問題に根差していると言われています。

この国、日本は戦後、American Capitalism、American Democrasy が蔓延はびこってきました。そして多くの問題を抱え、行き詰まってしまいました。
恐らく、異次元の金融緩和は、Last Resort(最後の手段)であると思います。これ以上危険なことをやってはいけません。

デフレの原因は、ゼロ成長、マイナス成長が根本的な原因です。
人口ボーナスならぬ人口オーナス(Demographic onus)、即ち少子高齢化というマイナス経済効果によるものでしょう。

ユーロ・グローバリスムの如く、金融政策・財政政策の自由と関税自主権が失われ、資本および人の移動が完全に自由化された世界になる前に、僕らは何かしなければなりません。
果たして日本は、TPP のようなグローバリズム(資本主義)の方向へ邁進すべきなのでしょうか?



参考文献:平成26年度の債務管理

日本銀行は国債引き受けをすべきか

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